今日も一日、元気で無事故で過ごせました、ありがとうございます。
10月7日
23 ホテルからの浜名湖
26 27 28 潮見晴嵐
29 30 31 おんやど白須賀に立ち寄り
ネットには、
「白須賀宿は、遠江国の西端の宿場町。東海道五十三次の32番目の宿です。
元来、白須賀宿は、潮見坂下の現在の元町にありましたが、宝永四年(1707)の地震・津波により、大半の家が流されてしまったため、翌年坂上に所替えをしました。
天保十四年(1843)の東海道宿村大概帳によれば、白須賀宿は、江戸日本橋から70里22町(約275キロメートル)の距離で、町並みの長さは東西 で14町19間(約1.5キロメートル)、宿内の人数及び家数は、加宿境宿村を含めて2,704人、613軒でした。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋が27 軒あり、宿場としては中くらいの規模でした。 」
ほぼ100年おきに大地震が、
安政元年(1844)11月に安政東海地震(M8.4)が発生し、津波が発生。それから僅か32時間後に安政南海地震(M8.4)が発生し土佐で津波の被害大、そして翌年の安政元年(1845年)10月に安政江戸地震(M7~7.1)が発生。江戸市中で大火。
32 「道の駅潮見坂」で遅い昼飯
生海苔うどんとしいたけアヒージョ丼
合唱曲が館内に流れていた、昨日立ち寄ったデイリーストアで同じ曲が、有線かな⁈
33 34 遠州灘を望む潮見坂海岸
35 湖西市のサークルKで
36 三ケ日IC手前の、「おやじのみかん小屋」で、三ケ日みかんを2袋買う、1000円
23 ホテルからの浜名湖
26 27 28 潮見晴嵐
29 30 31 おんやど白須賀に立ち寄り
ネットには、
「白須賀宿は、遠江国の西端の宿場町。東海道五十三次の32番目の宿です。
元来、白須賀宿は、潮見坂下の現在の元町にありましたが、宝永四年(1707)の地震・津波により、大半の家が流されてしまったため、翌年坂上に所替えをしました。
天保十四年(1843)の東海道宿村大概帳によれば、白須賀宿は、江戸日本橋から70里22町(約275キロメートル)の距離で、町並みの長さは東西 で14町19間(約1.5キロメートル)、宿内の人数及び家数は、加宿境宿村を含めて2,704人、613軒でした。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋が27 軒あり、宿場としては中くらいの規模でした。 」
ほぼ100年おきに大地震が、
安政元年(1844)11月に安政東海地震(M8.4)が発生し、津波が発生。それから僅か32時間後に安政南海地震(M8.4)が発生し土佐で津波の被害大、そして翌年の安政元年(1845年)10月に安政江戸地震(M7~7.1)が発生。江戸市中で大火。
32 「道の駅潮見坂」で遅い昼飯
生海苔うどんとしいたけアヒージョ丼
合唱曲が館内に流れていた、昨日立ち寄ったデイリーストアで同じ曲が、有線かな⁈
33 34 遠州灘を望む潮見坂海岸
35 湖西市のサークルKで
36 三ケ日IC手前の、「おやじのみかん小屋」で、三ケ日みかんを2袋買う、1000円